京野 誠 「ひとつえらぶとしたら」

海と空が交わることはあるのだろうか

違うもの

僕はときどき、人より心が狭いのだろうか、と思うことがある。

後輩の仕事ぶりにがっかりしたり、いらいらしたり、友人の何気ない一言や態度に打ちのめされたり、根に持ってしまったりする。

 

昔、プロジェクトの後輩が何を言っても響かず、悩んで同僚に相談したことがある。

後輩にいらっとしてしまう。僕は心が狭いのだろうか、みんなはいらいらしたりしないんだろうか、と。

すると彼はこう言った。

「正直、彼にイライラしていない人なんていないと思う。それを言うか言わないかというだけ。立場的なものもあるだろう。それにみんな彼に期待していないだけ」

当時、僕はその後輩の育成役だった。

同僚の言うように、僕はよく他人に期待して疲れてしまう。放っておくということができない。

当時、育成に興味の無かった僕の先輩は、思っていても何も言わず、自分のしたいことをして、直接怒らないから恨みも買わず、無駄な時間を過ごすことなくプロジェクトを満了したのだと思うと、僕はだいぶエネルギーの無駄遣いをしたのかもしれなかった。

 

あれから数年経ち、また別の後輩を育成する立場にある今、当時のことをときどき思い出す。

 

先日、上司がこんなことを言った。

「さっきのミーティングで新人が言い返してきただろう。ああいうの良いよね、こちらの思い通りのロボットを作っても仕方ないのだから」

 

謙虚さや素直さが足りないと、言うことを聞かないと愚痴るのではなく、力で押さえつけるのでもなく、面白いと思える上司がすごいと思った。

 

新人のくせに、ではない。属性に関係なく客観的にどうなのかということだ。属性には昨日書いた嫌いな人も含まれる。

誰が言ったか、どんな言い方をしたかに関係なく、それが正しいか正しくないか、良いか悪いか、面白いか面白くないかということである。

 

そのうえで、客観的事象がよろしくないと判断されたり、自分とは合わなかったり、育成でいうと本人のやる気がない場合には、相手に対してできることが減るというだけのこと。

しかしその事象は、それを見ている他人の中に静かに確実に蓄積されていく。それが本人の信用につながる。

 

自分と合わないからといって必ずしも相手を変えることが良いことではない。

その人は自分とは別の人間なのだから。

 

そしてその違いを面白いと思える方が得なのだと思う。

 そういうライフハックである。