京野 誠 「ひとつえらぶとしたら」

毎日のBetterを目指す〜エンジニアとしてのキャリア、婚活、結婚生活、家事、就職、家族とか〜

自分が普段何を口にしているか

今さらだけど、食べるものが自分の身体をつくると思う。

前から気づいていなかったわけじゃないのだけど、僕が行動に移すきっかけは「ダイエットは運動1割、食事9割」という本だった。以前、コンビニで迎えを待っている間、暇つぶしに購入した。正直、こういう本への期待値は低い。しかしこれはなかなかの良書だったと思う。(薄いからすぐ読める。)

Kindle Unlimitedを申し込んでいる人は、決定版を無料で読めるようだ。(僕は今、Kindle Unlimitedを無料体験中である。)

 なんと実践ノートというものもある(笑)。

 

要は、ダイエットにしても健康にしても食事がとても大切だよということなのだが、僕はこの本をきっかけに「栄養学」にはまってしまった。

とはいってもそんなに真面目にお勉強をしているわけではない。

しかし、確実に自分が口にするものへの意識が高まったと思う。

知れば知るほどに、ものを食べることが怖くなる。

現状の(都心での)生活を考えれば、確実に、「より良いものを摂取しよう」というより「いかに悪いものを口にしないようにするか」ということが重要であると思う。

 

そんな中、ローソンで出会った「オーガニック麦茶」。

「オーガニック」に惹かれて(こう書くとミーハーだ…)というので少し高かったがなんとなく試しに購入した。

しかし、これがびっくりするくらい美味しかった。

特に、キリンの「アルカリイオンの水」で作ると(まぁ天然水なら何でも良いと思うが)水道水で作るよりずっと美味しい。

夏に友人が家に遊びにきたときこの麦茶を出したところ、「なにこれ美味しい!」と言って驚いた。こんな美味しい麦茶を飲んだのは初めてだ、と。感想を求めたわけでもないのにわざわざそんなことを言うなんてよっぽどだろう。

本当はもっと早く書こうと思っていたのだが、夏が終わってしまった。

しかし涼しくなってきた今でも僕は今でもこれを愛用している。(味覚は人それぞれだし、これに限らずもっと美味しい麦茶は多々あるのかもしれないが。)

 

結局、健康の話というより美味しい麦茶の話になってしまった。

とにかく、僕が言いたかったのは、一度、普段自分が何を摂取しているか考えてみると良い、ということである。

ないものねだり

先日、「君の名は」という映画を観た。

以下、映画のネタバレはしないつもりだが、神経質な方は読まない方が良いと思われる。

 

まず、僕がこの映画をお勧めしたいのは、現実に疲れた方である(笑)。映画とは少なからずそういう一面があると思うが、この映画はあなたを「飛ばしてくれる」。

人気の秘密はこのポーンと飛ばされる爽快感なのではないかと思ったりする。

ところで、僕は今回、暗闇でノートを取るという実験を遂行した。思った時に思ったことを手探りで書くのだが、意外と可読性は保たれることが分かった。

この映画を観たのは少し前だが、ノートを見ながら僕が感じたことを振り返ってみたいと思う。(ただし、この映画はあまりメモに向かなかったと思う。おそらくそこまで僕の思考が刺激されなかったことが要因だ。)

 

さて、この映画を一言で表すなら「ないものねだり」だと思う。

 

東京と地方。

先進と伝統。

コミカルとシリアス。

純粋と憎悪。

現実と運命。

 

日頃僕らが抱える矛盾。

もしかして…だけど信じたい。

そういう人間の弱さにも強さにもなりうる部分に訴えてくる。

 

あるものを信じる。

信じすぎる。

いつの間にか振り切れる。

あれ、行き過ぎた。

現代の人々はそういうバランス感覚に疎いのではないか。

何かひとつなら簡単だ。

自分で考えなくても良いから。

ないものねだりの中で、どっちつかずに生きるのが辛い。

自分の幸せを考える労力が面倒だ。

 

たとえば、実際、現実の人間関係は疲れる。

純粋に人間を信じて、綺麗な運命を全うしたい。

でも気づいている。

騙したり、騙されたり、それは何も身近な人間関係の話だけではない。

国も、政治も、市場も。

何が正しいのか。何を信じれば良いのか。その価値が揺らいでいるからこそ。

 

本当は信じたい「運命」という魔法を映画は叶えてくれる。

視聴者の願望を達成してくれる。

ああ良かったと胸をなでおろさせてくれる。

一連の、疲れた心の集積所。

 

ないものねだりのバランスが取れて気持ちが洗われた気分になる。

 

そんな気分に浸るのに映画館という場所は良い。

センスの良い音楽を用いた映画ならなおさらだ。RADWIMPSがとても良い仕事をしている。改めて、音楽って大事だなと思う。

 

敢えて気になった点を挙げるなら、「喋りすぎる」点だろうか。

小説などでも往々にしてあるが、説明するような台詞に興ざめしてしまう。

観ている人はそんなに馬鹿ではないのではないかと思う。

 

いずれにしても僕は、上に書いたようなことを大変綺麗にまとめました、という映画だと感じた。

歯を抜いた

親知らずを抜いた。

歯医者に親知らずとその前の歯の間が虫歯だと言われたから。

でもいざ抜いてみると虫歯は小さく、これ本当に抜くべきだったのかと疑問が残る。

そもそも虫歯はレントゲン撮影で大きさが確認できたはずとあとから思う。

後悔先に立たず。

 

抜いた歯を持ち帰ってきて見てみると、まっすぐしっかり根を張っていたのが分かり、思わず、ごめんな、と呟いた。

 

今までありがとうな。

 

ずっと、何年も僕の口の中で咀嚼を支えてくれたパートナーを僕は無理矢理に引っこ抜いてしまった。

当たり前だけど一度抜いたら戻らない。

自分の一部がなくなった喪失感に取り憑かれ今日一日なにもやる気が起きない。熱も出てきた。

今日の予定はすべてキャンセルした。

 

たかが歯一本で大袈裟なと思うかもしれないが、僕にとって歯はそれくらいとても大切なものだ。

実際、友人は歯を抜くことになんの抵抗もないと言っていた。それはきっと歯を大切にしていないからだ。

 

価値観は人それぞれで、それは医者もそうで、結果的になにが正しかったのか分からないし、それこそ人によって正解が異なるのだろう。

 

失って気づくのは馬鹿だ。

しかし人間はそういう間違いを繰り返し犯してしまう。

そのたびに涙を流すのに次の日には乾き、心は鈍感になってゆく。

でもその核にあるものを忘れてはならない。自分の正しさを忘れてはならない。

世間には間違いの誘惑が多いから。

騙されてはいないか。誘導されてはいないか。

本当は、自分はどうしたいのか。

いまいちど心に問いかける。

絆創膏からスマホケースまで

最近のブームは「減らすこと」だ。

もともと僕の鞄は、皆に何が入っているのとびっくりされるくらい重たかった。

京野の鞄には炊飯器が入っていてどこでもご飯が炊けると揶揄されていた時代もある。念のため断っておくが、僕は炊飯器なんて持ち歩いていないし、当時の僕にとって“必要最低限”のものしか持ち歩いていなかった。

それでも鞄という鞄を壊し続けた。

最後に愛用していたのはポーターの3Way鞄で、手で持っていられない重さのためいつも背負っていた。

 

そんな僕だったが、今ではかなり身軽になった。

 

きっかけはある時、壊していたのは鞄だけではなかったと気づいたことだ。

僕は、腰も肩も痛めていた。

 

そして荷物を減らすことを決意した。

 

僕は、軽量化のポイントは安心材料を排除する心構えだと思う。そしてこれに尽きると思う。

 

リスクヘッジはもちろん重要な考え方だが、果たして常に持ち歩く必要があるのかを考えてみる。

安心材料を持ち歩くことに慣れてしまっている人は、それを持ち歩かないことに初めかなり抵抗があると思う。僕もそうだった。だけど、意外となくてもなんとかなるものだ。それが分かれば怖くない。

 

鞄軽量化のステップは以下のとおり。

まず、鞄の中身を並べてみよう。使わないものを持ち歩かないというのはもちろん基本だ。絆創膏など、いざというとき使うかもしれないという理由で持ち歩いているものは鞄から抜く。特にコンビニなどですぐ調達できるものは不要。

この時重たいものから対処を考えるのもポイントだ。財布などは重たくなりがちなので軽量のものを調達するも一考。

そして馬鹿にならないのがカバーという概念である。スマホケース、Kindleのカバー、パソコンケースなど。軽そうに見えて確実に重さが加算されている。

そもそもカバーというのは落としたときの傷や汚れを防ぐ目的で使う。だったら落とさなければ良い。小さな傷には少し気をつける。汚れや拭けば取れるので許容する。

僕はずっと、カバーはなければならないものだと思っていた。しかしなくてもいける。カバーなしは快適だ。これは書くとなんてことないことだけどかなり目からウロコだった。

 

今ではKindleもパソコンもハダカで持ち歩いているし、スマホは落とすリスクを減らすためにバンカーリングというものをつけている。これは「デザイナーがせっかくこんな美しいフォルムを考案しているのにカバーで隠したり、エンジニアががんばって軽量化しているのに強化ガラス貼るとか意味わからん」と豪語している友人から勧められて使い始めたがとても気に入っている。

画面を保護してしないというプレッシャーからか、スマホを落とすことがなくなった。それまですごい頻度でスマホを落としていたし、何度保護シートに助けられたか分からないと思っていた自分が信じられない。

 

いずれにしても仕事鞄は毎日のことなので改善の余地があると思う。

見積り違い

明らかに仕事がまわっていない。

見えていた仕事が次の仕事、その次の仕事に埋もれて見えなくなってゆく。

そのとき理解したと思っていたことが幻想だったと分かる。そのときイメージできていたことが綺麗さっぱり忘れ去られていることに気付く。

良くない流れだ。

部屋の片付けも仕事も、いちばん良いのはやはりバッチ処理より逐次処理だ。

 

見えない仕事は頭の中でなかったことになっているが、もちろん現実には仕事は少しも減っていない。

内容を思い出す、そのときのメモを探す、人に聞く作業から始まる無駄の多さ。

 

何故こんなに放っておいたの?

僕の場合多い理由は、なんだか重たそうだったから、というやつだ。

「きちんと調べて、すべて理解してから作業に着手しよう」

そういうやり方はたいてい失敗する。完璧主義の弊害である。

だんだん面倒になってどんどん忘れていってさらに面倒になる。

「あとでやろう」の「あと」はない。それは「いま」なのだ。

 

当たり前だが「まだですか」と聞かれる前に結果を渡した方が良いに決まっている。すぐ対応した方が印象が良いことは間違いない。やってみてできなかったときのリスクにも対応できる。締切間近に、何故今更その質問が?何故今更できないと言ってくる?という事態はできれば避けたい。

そんなことは分かっている。

分かっていてもできない、それはただの逃げである。

 

やりたくなくても理性でこなせ。

 

いまやれすぐやれ今日中にやれ。

 

次からこれを肝に命じたい。

 

と、かっこよく豊富を語ったところでその前に目の前の仕事を片付けないといけない。

僕の場合、これも苦手なのだが、できないときは人に頼っても良いのだと思う。もう人がいるならどんどんオフロードすれば良い。そして次回から気をつければ良い。(もしくは終わってからできますと言えば良い)

 

とにかく人に迷惑をかけてはいけない。

できないのにできると言うのは罪だ。

着席型1対1婚活パーティのススメ

ご無沙汰している婚活の話。

 

先日、初めて着席型の婚活イベントに参加してみた。

余談になるが、婚活を舐めきっていた僕は、20分ほど遅刻して登場。はじめ全くシステムが分からなかった。

はじめに言っておく。着席型のイベントでの遅刻は全くおすすめしない。

 

「すみません、初めてでルールが分からなくて(笑)」とヘラヘラ笑うと、「ルールは時間を守ることです」と初対面のお相手からお叱りを受けることになった。初めからダメージを負う僕。

ちなみに、フリートークスタイルの場合は遅れても途中退室しても全く問題なかった。

 

さて、しばらく経つと僕もだんだんとルールが飲み込めてきた。

向かい合わせに並べられた椅子に座りペアで会話する。そのときお互いあらかじめ記入したプロフィールカードを見せ合う。※もちろん僕のプロフィールカードは白紙である。

そして制限時間が経過すると男性が隣へ移動。こうして回転寿司のように異性と会話するのである。その際、手元のメモに相手の印象を書いておく。

1周まわると印象カードなるものに印象の良かった人を記録。カードは回収され、後ほど自分に丸をつけた人の情報が返却される仕組みのようだ。これはいくつ丸をつけても構わないらしいので気になる人の番号には全て丸をつけよう。

賢明な読者の方は気づいたと思うが、僕には空白の20分がある…。

そう。約半数の異性と1度も会話できていないという事実。その後、会話のチャンスはほぼ与えられないと言って良い。参加費の勿体無いこと!そしてはじめルールが分からなかったため、相手の番号になど全く注目していなかった。あの人何番だったんだろう状態。

大事なことなので2回言う。

着席対面型のイベントで遅刻は厳禁である。

そうこうするうちに、印象カードが返却された。会話した何人かの方が丸をつけてくれているのが分かった。

 

そして2度目になるが、僕は舐めていた。

対面で会話しているのだから、メモなんてしなくても相手の情報を覚えていられるだろうと。記憶力には自信があった。しかし実際はほとんど記憶に残っていない。実家が茨城?お兄さんがいて?金融系?あれ、誰だっけ。

メモは必須である。その際自分にとって優先度の高い情報と丸をつけるかの結論は出しておくことが望ましい。

そしてその後、時間制限制のフリートークが訪れるが、一対一方式で主にもう一度話したい人と話すための時間で、人気のある方には異性が殺到するため競争力が求められる。ご新規様と話せる雰囲気ではない。

そして最後、アプローチカードなるもので告白しマッチング発表という流れである。

 

とまぁ僕は失敗の連続だったが実に面白い体験だった。

思うのは、婚活パーティは素晴らしいコミュニケーション練習ツールであるということだ。

極めて短い時間制限の中で、初対面の人間相手に、一瞬で相手を見極めタイプに合わせて自分を商材としたプレゼンテーションを繰り返す。すごい訓練だ。

しかも失敗してもまったく後腐れがない。うまく行けば良い人と巡り会える。

セルフブランディングがどうのとか、そんなセミナーに行くくらいなら婚活パーティへの参加をおすすめする。

フリートークスタイルのイベントは見た目から入るモテ非モテ差別が激しいので、容姿に自信のない男性諸君は男性に一定の資格が設けられているタイプの着席パーティをおすすめする。着席型は全員と話すことができる点が最大のメリットで、自分で選り好みせず色んなタイプの異性と強制的に話さなければいけないという前提はすなわち試練でありチャンスである。

 

異性と話すのが苦手な人は、婚活パーティを活用してみてはいかがだろうか。

違うもの

僕はときどき、人より心が狭いのだろうか、と思うことがある。

後輩の仕事ぶりにがっかりしたり、いらいらしたり、友人の何気ない一言や態度に打ちのめされたり、根に持ってしまったりする。

 

昔、プロジェクトの後輩が何を言っても響かず、悩んで同僚に相談したことがある。

後輩にいらっとしてしまう。僕は心が狭いのだろうか、みんなはいらいらしたりしないんだろうか、と。

すると彼はこう言った。

「正直、彼にイライラしていない人なんていないと思う。それを言うか言わないかというだけ。立場的なものもあるだろう。それにみんな彼に期待していないだけ」

当時、僕はその後輩の育成役だった。

同僚の言うように、僕はよく他人に期待して疲れてしまう。放っておくということができない。

当時、育成に興味の無かった僕の先輩は、思っていても何も言わず、自分のしたいことをして、直接怒らないから恨みも買わず、無駄な時間を過ごすことなくプロジェクトを満了したのだと思うと、僕はだいぶエネルギーの無駄遣いをしたのかもしれなかった。

 

あれから数年経ち、また別の後輩を育成する立場にある今、当時のことをときどき思い出す。

 

先日、上司がこんなことを言った。

「さっきのミーティングで新人が言い返してきただろう。ああいうの良いよね、こちらの思い通りのロボットを作っても仕方ないのだから」

 

謙虚さや素直さが足りないと、言うことを聞かないと愚痴るのではなく、力で押さえつけるのでもなく、面白いと思える上司がすごいと思った。

 

新人のくせに、ではない。属性に関係なく客観的にどうなのかということだ。属性には昨日書いた嫌いな人も含まれる。

誰が言ったか、どんな言い方をしたかに関係なく、それが正しいか正しくないか、良いか悪いか、面白いか面白くないかということである。

 

そのうえで、客観的事象がよろしくないと判断されたり、自分とは合わなかったり、育成でいうと本人のやる気がない場合には、相手に対してできることが減るというだけのこと。

しかしその事象は、それを見ている他人の中に静かに確実に蓄積されていく。それが本人の信用につながる。

 

自分と合わないからといって必ずしも相手を変えることが良いことではない。

その人は自分とは別の人間なのだから。

 

そしてその違いを面白いと思える方が得なのだと思う。

 そういうライフハックである。