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京野 誠 「ひとつえらぶとしたら」

海と空が交わることはあるのだろうか

やる気が出ない日は映画を

最近、映画にハマっている。

ハマっている、というか仕事から逃げるツールとしての映画である。

もっぱら利用しているのはamazonビデオである。

 

最近観ているのは「メンタリスト」というドラマであるが、これがシーズン7まであってやばい。エンドレス。イケメン。プライム会員は無料ですよ。

今日観たのは「グランド・イリュージョン」。

昨年、映画館に映画を観に行ったときの予告で「グランド・イリュージョン2」を観て興味を持っていたところ、前作がamazonビデオで公開されていたのである。

思わず手品をマスターしたくなる。

そして、話は変わるが最近暇な時(いや、暇な時なんてないんだけど)聞いているTBSラジオ「東京ポッド許可局」の2月6日版で映画の話があり、満島ひかりの演技がうまいとかいう話があった。

次は満島ひかりが出ている映画を観ることにしよう。

 

映画は良い。しかし2時間があっという間に飛んでびっくりする。

 

仕事のやる気が出ないのは仕方がない。

自分がどういうタイミングでやる気をなくすのか、どうしたら復活できるのか、知っておくのは賢明だろう。

今日も一日無駄にした気がしなくもないけれど、気分はマジシャンである。

日誌のすすめ

2017年ももう1ヶ月以上が経過したようだ。年々時間の経過が早く感じられる。

例によって1月は手帳が欲しくなる季節である。 僕が今年使っているのはこちら。1月から今日まで活用しまくっている。

面と向かって夢とか希望とか言われるとちょっと引いてしまう僕には意識が高すぎる手帳である。しかしこれ、僕のようにコンスタントに仕事のモチベーションが保てない人にはおすすめの手帳なのである。(今からでも。)

おかげで2017年の僕はなんだか仕事がバリバリと捗っている、ような気がする。いや、去年、婚活に明け暮れていてほとんど仕事をしていなかったせいかもしれないが。

 

さて、本書では「予め予定を立ててその通りやると仕事が終わるね」「一日の終わりにはその日の出来がどうだったのか振り返って日誌をつけようね」ということを推奨しており、できている人には当たり前かもしれないし、まぁ言ってしまえば、別にこのノートでなきゃならない理由はない。(はっきり言って分かってしまえば解説ページは無駄だし、個人的には書くスペースがもっと欲しいから2冊めはこれでなくとも良いと思っている。)

もとになっているのは原田先生という人のコーチングで、僕はついでに以下のDVDも観た。このメソッド(というか原田先生)ははっきり言って論理的でないと思うし、それ故に本は読みにくい。しかしこの先生はとある公立中学校で個人競技13回連続の日本一という記録を導いている。直感に基づき結果を出している、結果を出しているから正しいというような実験的な証明のようである。

僕がショックを受けたのは、教え子の中学生が実際に書いた日誌(ジャーナル)である。素直にすごいと思った。若いから盲目的なのだろうけど僕は中学生に負けていると思った。そして中学生にできるなら僕にもできるんじゃないかと思った。 

この日誌というスタイルが僕に合っていると感じた。

目の前のタスクを潰している実感が得られ、やりがいにつながるようだ。

そして本当に今更だけど、いまでは一日がなんて短いんだと感じている。一日の中で出来ることは限られている。取捨選択しなければならない。

去年まで僕は自分の力を過信しすぎていて、仕事が溢れていたのだ。仕事が終わらないのは当たり前だったのだ。一日に時間を当て込んでみればすぐに分かることだ。(僕は馬鹿か?)

そういうわけで今では、1日あるいは1週間の時間の過ごし方をタスクごとに予めブロックし、実績と比べて評価するという入社1年目レベルの働き方ができるようになった。

”決めて、やる。

仕事が入ったら時間を割当て、そのとおりやる。”

その繰り返しなのである。

そうすると、本当に1日の短さにびっくりするし、自分のちっぽけな力にも気づくというものだ。

1日集中しているから帰るとくたくたで、風呂に入って寝るだけという状態。世のサラリーマンが言っていたルーチンとはこれか、と気づいた。(今まで何をしていたんだ僕は。)

だいたい出社するだけで疲れるし無駄だと思ってしまう。会社に行く自分を褒めていないとやっていられない。朝から会社に行く僕はなんて偉いんだ、とそう思っている。

会社に行くとOFF/ONがはっきりできるというメリットはあるものの、たまには在宅勤務をしてみたり休暇を取ってサボらないとやっていられないと思った。僕はサラリーマンに向いていないようである。

早く自由になりたいなぁ。

悪い兆候

僕は仕事の要領が悪い。仕事が捗らないなら寝てしまえば良いものを、それもできずにいる。

どうしてこうもストレスを溜めてしまうのだろう。自分を追い込んでしまうのだろう。

放置しているものが、頭の片隅でずっと気になっている。

 

だったらすぐやれば良いだけだというのに。

「さっさとやってしまえ」

もうひとりの僕が叫ぶ。しかし頭は働かない。

 

喉が乾いている。すぐに喉を潤した方が良い。

「だからお前はだめなんだ」

もうひとりの僕が呆れている。しかし身体は動かない。

 

立ち上がるのが面倒なのか自分を痛めつけているのか。

遠くから自分を鑑賞している自分がいる。

 

眠くない気もするし眠い気もする。

そのうち、何もしたくなくなるんだ。

海 3

ミカの家へ一歩足を踏み入れると「新しい」匂いが私を迎え入れた。

新しい柱、新しい畳、そして新しい夫婦の雰囲気という漠然とした匂いである。

ひとたび玄関に足を踏み入れドアを閉めると、まるでこの家だけを北風が避け、冬の貴重な日差しが降り注いでいるかのような、温かい雰囲気が身体を包み込む。

1階部分は和室と寝室、2階にリビングとキッチンという割りと最近の思想に基づいた2回建ての木造住宅である。

さっそく2階に案内されると、大きなクリスマスツリーが目に飛び込んできた。さらに天井からは"Merry Christmas”という飾りがぶら下がっている。対面式のキッチンのコンロには作りたてのスープから湯気があがっている。

それは一言で形容するなら「幸せ」であると思う。これがきっと、教科書に載っている「幸せ」の例であろうと私は確信した。そして今の私からはずっと遠いもののように思える。

 

私たちは生まれてから、たくさんの分岐点に出会い選択を行う。もちろん選べないこともたくさんある。それは家の事情であったり家庭環境、親の収入、そして親の思想だったりする。出会う人間にも影響を受ける。そういった前提や影響を受けながら繰り返し行った選択がその人の人生をつくる。

だから同じ小学校を卒業しても、私のミカの人生はこんなにも違う。

 

「今日は倫子とピザを焼こうと思ってね」

ミカは冷蔵庫からピザ生地を取り出し、手際よく準備を始めた。

そういえば以前LINEでそんなことを言っていた気がする。年末の忙しさの中で、ミカの連絡は重要フォルダには格納されていなかった。

故に私は、当日の正確な集合時刻もミカの家の最寄り駅もその日の朝確認したし、その日の過ごし方についても具体的なプランなどおよそ頭に入っていなかった。そんなふうだから、ミカへの新築祝いのことに思い及んだのも昨日で、結局間に合わない。当日の手土産やクリスマスプレゼントなんていう考えなんて思いつきすらしない。結局、自宅に買い置きしてあった地元の手焼きせんべいを持ってくることしかできなかった。

私はなんだか居心地が悪くなってきた。

海 2

ミカの家はとても遠く感じられた。

メールを再確認し、降りる駅を確かめる。改札を抜けると東口、西口と背中合わせの標識が立っている。看板をよく見るとバス停は東口にあることが分かった。改札前の踊り場の人はまばらだ。

改札部分は二階に位置しており、窓から一階部分のロータリーのようのものが見える。

階段を降りバス停を目指す。一階に降りてもやはり人はまばらで、すれ違いざまにぶつかる可能性はゼロに思えた。東京の人混みの埃っぽさは微塵もなく、カラッと晴れた日差しがコンクリートを暖めている。

事前に指示されたバス停を見つけると真っ先に時刻表を見た。休日の列は平日の半分ほどの密度で、5分前に行ってしまったバスの次は30分後である事実を私に突きつけてきた。私はミカに電話をかけた。隣のバス停で今にも出発しそうなバスが、万が一にも近くを通過しないか確認したかった。

「2番のバスは通らないの。不便でごめんねぇ」

私はすぐにバスを使うことを諦めタクシーを使うことに決めた。

こんなことなら。こんなことなら事前にバスの時刻を調べて、もっと早起きするべきだった。思っても遅い。この世は段取りの下手な人間が損をするようにできている。

家の周辺に目印になるものはないと聞いていたため、私はタクシーに乗り込むとミカの家の住所を告げた。

10分ほど走りまばらな住宅地の小道に入っていくと二階建ての家の前で手を振るミカを見つけた。

「いらっしゃい。遠かったでしょう。田舎でごめんね」

もともと同郷のくせにミカはそんな挨拶をした。私が逆の立場でも同じことを言ったかもしれない。田舎の自覚がある人は、東京から人を迎え入れる時必要以上にへりくだった気持ちになってしまうのだ。

慣れない旅に少し疲れていた私だが、ミカの変わらない笑顔を見て少し元気が出たような気がした。

「どうぞ」

改めて新しく建てたというその家を仰ぎ見る。

なんだかとても大きく見える。

結婚して家を建て、着々と家庭を築くミカを素直に尊敬している自分がいた。

空 1

僕はいつからか空が好きだ。

空はひとつづきで、昔好きだったあの子が今この瞬間同じ空を見ていたりしないだろうか、なんてスピッツの歌詞に重ねたりしながら仰ぎ見る東京の空はビルの狭間で小さく切り取られて僕を見降ろしてくる。

 

東京の空は狭い。

それは地上から見た空だ。

東京の空は高層ビルの上から、もしくは車に乗って見るものだ。

つまり東京の空は金持ちのものなのだ。

 

空の表情はあっという間に変わる。

雲は風で流れ、日が沈むにつれてどんどん色が変わっていく。

けっして待ってはくれない。

 

今年ももうすぐおしまいだ。

歳をとるにつれて月日の流れがどんどん早く感じる。

年末には誰もが1年を振り返り、翌年の抱負を語る。

「節目」というのは便利だ。新年には過去がリセットされた気分になる。

 

しかし、潜在的には多くの人が過去に引きずられている。

その多くは人間関係において、である。

夫婦喧嘩などというものはその最たるものであると常々思う。

節目でリセットはされない。

 

僕は実家に戻るたびに親の夫婦喧嘩に巻き込まれているが、外から見ていると、そのコミュニケーションエラーはいつ起きたのだろうと、もっと早くに修復できなかったものかと首をひねる内容ばかりだ。

僕は、出口の見えない議論で足かせになっているのは感情論であると思っている。

そうなると外野は口出しできないし解決は難しい。

それが他人であれば割り切れるようなものでも、家族の喧嘩は血で血を洗う戦闘となるから非常に厄介だ。

海 1

今日は電車で遠くまで来た。

海には向かっていない。なぜなら埼玉に海はないからだ。

のどかな風景。雲ひとつない真っ青な空。電車の床を流れる影が私を優しく撫ぜながら通り過ぎていく。

車両には私を含めて3人しか乗っていない。くたびれた黄色いソファにもたれて陽だまりにまどろんでいると乗り換え対象の駅に着いた。

ドアを出るとすぐ冷たい風が身体の熱を急速に奪っていく。

電車のホームの日陰から見る日向が眩しい。線路を横切る車のボンネットが太陽を反射しながら通り過ぎる。

 

今日は小学校時代からの友人であるミカが結婚して家を建てたというので、そのお祝いに向かっている。

ここのところ忘年会続きで胃が重い。

 

昨日も飲み会だった。始まる前までは一次会で切り上げようと固く心に決めていたのに結局だらだらと二次会に参加してしまった。その帰り道、JR組と地下鉄組に別れると、4対2となり地下鉄組だった私はある男性と帰り道が一緒になった。こういう場合、必ずどちらからでも帰れるという人がいるはずで、その場の雰囲気とメンバーを見てどの路線で帰るかを決めるというケースが往々にしてあると思われる。

私はこの時既にこの男にロックオンされていたのだ。推定38歳、妻子持ちの優男である。

駅に着くと、隣接施設に入っているビールスタンドの明かりが地面を照らしていた。店の中央には金色に輝くビアサーバがどうだと言わんばかりに堂々と陳列されている。一杯だけ飲んで行こうと絡まれ、情けないことにこれも断りきれなかった。こういう場合、一杯で終わることはない。

すべて自分が招いたことだ。

オッサンに口説かれながら、ビールの飲み過ぎで重力を増している頭をなんとか首で支えていた。

「送っていくよ」という言葉を曖昧にやり過ごし、幸せってなんだろうとぼんやり思う。結婚という契約は一体何の意味があるのだろう。

電車の中で寝たら途中で起きられる気がしなかったので、一生懸命仕事のことを考えた。考えようとすればするほど思考が発散して同じ場所を何度もうろうろしている気分だった。

酒はなにも生まない。